2009年6月30日火曜日

「日本はすでにアホロートルが多数派となる悪夢のSF社会に足を突っ込んでいる」(鹿島茂)

おやおや鹿島茂先生、ニッポンについてとてつもない悲観主義に陥っている(日経「プロムナード」)。分からんこともない。メモ:

これまでのアホロートルにかかわる記事はこれ。その上で鹿島茂はこういう:
  1. アホロートルが多数派になった社会というのは、やはり悪夢のSF社会だ。
  2. アホロートルは子供だから、我慢や自制心を知らない。「気にくわないやつはぶっ殺せ!」ということになる。
  3. アホロートルは面倒くさいことが嫌い。つまり労働がきらい。親の存命中は引きこもり、親が死んだらホームレス。
  4. アホロートルは子供だから、異性との関わりが何よりも恐ろしい。当然人口は減少する。
  5. 日本をかつてのような大人の世界に戻すことが出来るか。残念ながら不可能。日本の経済構造がアホロートルの消費に依存するような構造になってしまっているから。お父さんお母さんが子供のためを思って一生懸命働けば働くほど子供たちのアホロートル化は加速してしまうのである。
  6. つまりアホロートルの増殖は国民の総意による。

最後の二つのくだりが特に印象的。最近のニッポン社会は未熟なアホに媚びる傾向が強すぎる。それが問題なのである。

6/30 Today 小倉昌男氏が死ぬ(2005)

小倉昌男 - Wikipedia: "小倉 昌男(おぐら まさお、1924年12月13日 - 2005年6月30日)は、日本の実業家。東京都出身。ヤマト運輸の『クロネコヤマトの宅急便』の生みの親である。宅配便の規制緩和を巡り、ヤマト運輸が旧運輸省(現・国土交通省)、旧郵政省(現・日本郵政グループ)と対立した際、企業のトップとして先頭に立ち、官僚を相手に時には過激なまでの意見交換をした。"
既得権集団と真っ向から戦った立派な日本の経営者であった。合掌。

おかげで人々の生活はとても便利になり、宅急便を利用した多くの新しいビジネスが出現し、日本は豊かになった。

それに対して、いまの薬事法改正のザマはなんだ。既得権集団は大笑いしている。

2009年6月29日月曜日

6/29 Today キャサリン・ヘップバーンが死んだ(2003)

キャサリン・ヘプバーン - Wikipedia: "キャサリン・ホートン・ヘプバーン(Katharine Houghton Hepburn、1907年5月12日 - 2003年6月29日)は、アメリカ合衆国の女優。ハリウッド映画史上最も特筆すべき女優の一人である。2009年現在、オスカーを4回受賞したただ一人の俳優。2003年に老衰で死亡。96歳。"

合掌

「黄昏」(1981)の時は74歳。湖に飛び込むシーンなどもあったがしゃくしゃくたるものだった。美人は歳をとっても美人である。


2009年6月28日日曜日

6/28 Today お芙美さんが死んだ日(1951)

林芙美子は、とても頑張った人。日本人の原点でもある:
林芙美子 - Wikipedia: "林 芙美子(はやし ふみこ、本名:フミ子、1903年12月31日 - 1951年6月28日)は、日本の小説家。上京前のペンネームに秋沼陽子(あきぬま ようこ)がある。「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」の名句で知られる昭和初期の流行作家。自らの貧困に苦しんだ生い立ち、流浪の経験などを基にした、生々しい実感を伴う表現や人物描写が特徴。"


おいらも追悼の意を表したことがある:
6/28 Today 芙美子忌……いま再び林芙美子が新しい

中井の豪邸の頻繁に出入りする訪問客には鮨を注文するが、小皿に残った醤油は絶対に捨てさせなかったという(女中の証言)。これぞ元祖エコロ。モッタイナイ精神である。

ニッポンのエコロも林芙美子に見習って、環境とやらで食っている既得権集団を儲けさせるだけのための無駄遣いはいい加減にやめたらどうかな。これこそ地球環境の保全につながる。ノーソン商業主義に踊らされるいまのエコロは、あまりにもナイーブ。

2009年6月25日木曜日

6/25 Today テレマンが死ぬ(1767)

ゲオルク・フィリップ・テレマン - Wikipedia: "ゲオルク・フィリップ・テレマン(Georg Philipp Telemann, 1681年3月14日-1767年6月25日)は、後期バロック音楽を代表するドイツの作曲家である。生前は同時代の作曲家であったバッハやヘンデルより、人気と名声のあった作曲家とされる。"
へ〜、当時はバッハやヘンデルより人気があったんだ。なぜか?

オペラ、コンサート、教会音楽や出版を行い、高い名声を得た。テレマンは、裕福な市民層を相手に作品の予約販売という方法で成功を収めたほか、隔週の市民向け音楽雑誌「忠実な楽長」を刊行、毎号、新作楽譜を掲載し、必ず、続きは後の号に載せることで継続して買ってもらうという新手の商法を生み出すという商売上手であった。

1722年、ライプツィヒの聖トマス教会の楽長が亡くなった時、ライプツィヒ市はまずテレマンを招聘しようとしたが断られたため、仕方なく知名度の低かったバッハを招聘したというエピソードからも、当時のテレマンがバッハより人気が高かったことがわかる。

「食卓の音楽」。宮廷の宴席で好んで演奏された室内楽を集めたもの。三つの曲集からなり、各々の曲集に、管弦楽組曲、コンチェルト、四重奏曲、トリオ・ソナタ、ソロ・ソナタといった異なった器楽合奏曲が含まれ、「バロック音楽の百科全書」とも呼ばれている。この作品を販売するに当たっては、特別価格での提供と予約者を当作品集の冒頭に記載すると広告したところ、ドイツ国内、海を越えてイギリスからヘンデル氏が、フランスやロシア・スウェーデンからも予約注文があったという。

いろいろビジネスモデルを創意工夫した人らしい。当時の芸術家は座っておれば売れるという殿様商売でなかったところが面白い。そればっかりになっても困るけれど、殿様商売が制度化すると国は衰退してしまう。

2009年6月24日水曜日

「一億、総アホロートル社会が出現しつつある」(鹿島茂)

「アホロートル」と聞いててっきり「阿呆老人」のことだと思ったが、そういう生物がいるらしい(アホロートル)。鹿島茂による3回連続日経「プロムナード」(初回2回目はこのリンク)での若者論の完結編。例によってメモしておく:

抜き書き:
  1. 1975年頃からの若者が知的な家庭に入ることを拒否し、遠方指向性を失うようになったが、それは同時に成熟することの拒否でもあった。オカク化とはそういう過程。しかしバブル崩壊前まではオタクはまだ少数派であった。
  2. 社会に子供を一気に大人社会に組み入れる通過儀礼(イニシエーション)が存在していたからだ。入社試験と新人研究制度である。それは戦前の兵役制度に等しかった。
  3. ところがバブル崩壊とそれに続く不況によって、会社のこの機能が徐々に失われていった。会社は「成人教育機関」としての役割を放棄する以外に生き延びる道はなかったのである。
  4. 一概に企業を責めることは出来ない。責められるべきは、戦後、通過儀礼の役割を会社に押しつけてきた歴代の政府だ。
  5. バブル崩壊後、会社が通過儀礼の役割を放棄したことで、この大切な役割を演じるものがだれもいなくなってしまった。
  6. いまの日本人は、幼形成熟する両生類アホロートルに似ている。「一億、総アホロートル」の社会が出現しつつあるのだ。

オタクたちにはもちろん、いわゆるニッポンイストにもこういう話は耳障りなようだ。でも、問題の原因を正しく認識することが、その解決策を検討する作業に起点となる。その問題の中にどっぷり使っている人より、傍目八目の視点をもてる人の方が本質を適確に見えることが多い。フランス文学者なればこそ見えてきた構図である。石原慎太郎は嫌いな仏文学者を軒並み焚書坑儒して以来、とんちんかんが増えた。

6/24 Today 壬申の乱始まる (672)……今日はやっぱりこれ(再掲)

壬申の乱 - Wikipedia: "大海人皇子は天武天皇元年6月24日(7月27日)に吉野を出立し伊賀、伊勢国を経由して美濃に逃れる。"

天智天皇の譲位の申し出を陰謀と見抜き吉野に逃れた大海人皇子はこの日ついに挙兵を決意する。皇子に続くものは妃の讃良皇女(後の持統天皇)ほか腹心の部下わずか20数名。夜闇に紛れ一行は伊勢にたどり着き、いよいよ軍勢を整えて滋賀へと攻め上る。古代最大の内乱である壬申の乱はこうしてはじまった。

壬申の乱ほど面白い物語はないですよ。日本史で一番面白いとも言える。肉親同士の確執あり、純愛物語あり、陰謀あり、裏切りあり、不倫あり、大戦争あり、手に汗握る大逆転あり、何でもありなのである。映画とかテレビにすればこれほど面白いものはないと思うのだが、不思議なことに今までこれが映画化されたことはない。天皇家の内輪もめを娯楽映画にするのは恐れ多いという遠慮からだろう。シェイクスピアがイギリス王室を題材に多くの名作を残したのとは対照的。日本にシェイクスピアは出ないのか。

大海人皇子(天武天皇)は恋人の額田王を兄の天智天皇に横取りされ、それを恨んでの反乱との説がある。当時もう既に額田王は40を越していたのでこれは俗説であるとの見方が主流だが、散人としてはこの説がロマンティックで好きだ。あくまでもお話しとして楽しめればそれでいい。

 天皇(天智)蒲生野に狩猟せられしとき額田王よめる歌
(註;詠んだ相手はもちろん昔の恋人大海人皇子)
あかねさす紫野ゆき標野ゆき野守は見ずや君が袖ふる

 大海人皇子答ふる御歌
紫のにほへる妹をにくくあらば人妻ゆえにわれ恋めやも
(註:人妻というのは額田王が天智天皇のものであったことをさす。亭主の前でなんたる大胆さ)

万葉集の中でも散人が一番愛して措かない一節です。

(余談)古代の反乱では、いったん東に逃れてそこで兵を集め都に攻め上るというのが一般的なパターン。だから反乱となると東国への連絡線を遮断するため真っ先に関所が封鎖された。中世になって源頼朝は同じパターンを踏襲。流人の頼朝はいったん三浦半島から房総に逃れ、北回りで現在の千葉と東京あたりを移動しながら兵を集め、今度は一挙に南進し鎌倉に攻め上った。腕っ節の強い東国の武士(まあ農民だね)を味方に付けることが出来るかどうかが反乱が成功するかどうかの鍵を握っていたのである。平成の世も基本的にはこんな構図で世の中は動いている。都市住民の声は力で無視されるのだ。こういう古代的なやり方からそろそろ卒業したいね。


(初出:2003.6.24)

さて、現代ニッポンでも兵乱の動き。泣いても笑っても今年は衆院選挙なのだ。壬申の乱の展開となるか。でも役者不足の感があり、なんだかつまらない。与野党とも腕っ節の強い農民票の獲得しか頭の中にないみたいだから。

2009年6月23日火曜日

6/23 Today プラッシーの戦い(1757)

プラッシーの戦い - Wikipedia: "プラッシーの戦い(ぷらっしーのたたかい)は、1757年、インドベンガル地方のプラッシーで行われた、イギリス東インド会社と、連合軍(ムガル帝国ベンガル太守率いる土侯軍と後援するフランス東インド会社)との間で行われた戦いである。

1757年6月23日、イギリスの軍人クライヴは、東インド会社の軍隊を率いて、フランス勢力と組んだベンガル太守のスィーラジュ・アッダウラとカルカッタの北方プラッシーで交戦した。

クライブの率いたイギリス東インド会社軍は僅かに欧州人兵士950人・セポイ2,100人と9門の砲・100人の砲兵を有していたのみで、これに対してフランス東インド会社と同盟していたベンガル太守のスィーラジュ・アッダウラは16倍(50,000人)もの歩・騎兵力と40人のフランス兵が操作する重砲を含む53門の砲を装備して戦いに臨んでいた。

ベンガル太守軍の兵士達は日頃の訓練不足と、情況の変化に柔軟に対応できないヒンドゥー教徒特有の性質から当日の豪雨の中に火薬樽や銃・砲を放置し、水浸しとなった火薬は着火しなくなってしまった。雨が止んだ14:00頃から反撃を開始したイギリス東インド会社軍に一方的に攻撃されて惨敗した。"

これでイギリスのインド支配は決定的なものとなった。インド側はなぜこの戦いにボロ負けしたのか?

雨のためとか裏切りのためとか説明されるが、決定的だったのはインド側の兵士の個性が強く集団行動をとれなかったのに対し、イギリス側はヨーロッパ式集団隊列訓練を受けていたこと(いまのイランの親衛隊や将軍様の兵隊の行進みたいなもんだね)。日本でも昔の鎌倉武士はばらばらに個性的行動をとった。集団ロボットみたいな隊列行進はヨーロッパの発明なのだ。

集団主義はアジアのお家芸と思われているが、当時は逆だったみたいで面白い。



2009年6月22日月曜日

6/22 Today 高田好胤が死ぬ(1998)

高田好胤 - Wikipedia: "高田好胤(たかだ こういん、1924年(大正13年)3月30日 - 1998年(平成10年)6月22日)は法相宗の僧侶。薬師寺127代管主。法相宗管長。金堂、西塔など薬師寺の伽藍を復興し名物管長と呼ばれた。

1949年、副住職に就任すると、修学旅行の生徒達への法話に力を入れた。そのユーモアたっぷりで分かりやすい法話は人気を呼んだ。高田の法話を聞いた生徒は500万人にものぼるという。

1967年、管主に就任すると金堂の再建を志し、ついで西塔、中門、回廊などを次々と再建した。再建費用は大きな課題であった。金堂の再建だけでも約10億円が必要だった。薬師寺には檀家組織がなかった。そこで高田は全国の篤志の人々から一人1000円の写経納経の供養料を集める勧進を行い、これを賄おうと考えた(写経勧進)。一人1000円では100万人の写経が必要であった。高田は全国、800以上の市町村で8000回におよぶ講演をして周った。1976年には念願の100万巻が達成され、同年、金堂が再建された。その後も写経勧進は進み、1997年には600万巻にのぼった。写経勧進は現在も薬師寺の大きな柱の一つとなっている。"

坊さんはおしなべて話が上手だから、聞いていて楽しい。

薬師寺には安定的な収入源となる檀家組織がなかった。これがなかったことが新機軸(写経勧進)に踏み切らせる動機となった。イノベーションも同じで、寝てても食える状況では起こらないのである。

2009年6月21日日曜日

6/21 Today マキャベリが死ぬ(1527)

ニッコロ・マキャヴェッリ - Wikipedia: "ニッコロ・マキャヴェッリ(Niccolò Machiavelli, 1469年5月3日 - 1527年6月21日)は、イタリア、ルネサンス期の政治思想家である。著書に、『君主論』、『ティトゥス・リウィウスの最初の十巻についての論考』『戦術論』など。理想主義的な思想の強いルネサンス期に、政治を宗教・道徳から切り離して現実主義的な政治理論を創始した。日本語ではマキャヴェリ、マキャベリ、マキァヴェリ、マキァヴェッリなど様々な表記が見られる。"

彼の理論は「フォルトゥーナ」(伊: fortuna, 運命)と「ヴィルトゥ」(virtù, 技量)という概念を用い、君主にはフォルトゥーナを引き寄せるだけのヴィルトゥが必要であると述べた。『リウィウス論』では古代ローマ史を例にとり偉大な国家を形成するための数々の原則が打ち立てられている。全てにおいて目的と手段の分離を説いていることが著作当時おいて新たな点であった。

この「目的と手段の分離」というのが、いまだにポリティカリーコレクトじゃないらしい。特にニッポンにおいては、大衆レベルの既得権益が社会の隅々にまで蔓延っているので、いかなる「手段」も講じられない状態に陥ることが多い。

土地の私権がこれだけ保護されている国は日本とドイツだけである。いずれも戦勝国が両国を二度と軍事強国にしないために意図的に導入したものである(高坂正堯)。その結果、いかなる高尚な国家目的実現の手段も、戦後の農地解放で出現したニワカ成金ヒャクショウ地主のエゴに合致しないと実現できない仕組みとなってしまったのである。

2009年6月20日土曜日

「しょうもない人(票を持ってない人)は來ないでくれる?」(麻生太郎)

asahi.com(朝日新聞社):首相「しょうもない票のない人、前に来ないで」報道陣に - 政治: "麻生太郎首相は19日夜、東京都議選の応援のため三鷹市の自民党立候補予定者の事務所を訪れた際、報道陣に向かって「しょうもない人はちょっと来ないでくれる。票を持っている(地元の)人だけ前に来て。票を持ってない人が前に来られると」と述べた。"

太郎君、つい本音が出てしまった。

おいら東京都民の一票の重みは、どっかの「しようもない」イナカの有権者の4分の一という軽さ。おいらもお呼びじゃないらしい。

慎太郎、これを見逃したら(聞き流したら)男じゃないぞ!

6/20 Today 徳川吉宗が死ぬ(1751)

德川吉宗 - Wikipedia: "江戸幕府第8代将軍。生誕 貞享元年10月21日(1684年11月17日)死没 寛延4年6月20日(1751年7月12日)

吉宗は紀州藩主としての藩政の経験を活かし、水野忠之を老中に任命して財政再建を始める。定免法や上米令による幕府財政収入の安定化、新田開発の推進、足高の制の制定等の官僚制度改革、そしてその一環ともいえる大岡忠相の登用、また訴訟のスピードアップのため公事方御定書を制定しての司法制度改革、江戸町火消しを設置しての火事対策、悪化した幕府財政の立て直しなどの改革を図り、江戸三大改革のひとつである享保の改革を行った。また、大奥の整備、目安箱の設置による庶民の意見を政治へ反映、小石川養生所を設置しての医療政策、洋書輸入の一部解禁(のちの蘭学興隆の一因となる)といった改革も行う。そして、第4代将軍・徳川家綱時代から続いていた学問を奨励する文治政治を見直し、武芸を奨励する武断政治を志した。一方で年貢を五公五民にする増税政策によって、農民の生活は窮乏し、百姓一揆の頻発を招いたが、江戸幕府の三大改革の中で最も成功したものとして高く評価されている。吉宗の改革が無ければ、江戸幕府の崩壊はもっと早く到来したであろうとする意見も多い。"

妥当な評価でしょう。おかしなところはともかく「改革」する。それをしなければ衰退するだけなのである。

でも、こういう意見もある:
8/2 Today 徳川吉宗、目安箱を設置 (1721)……彼の改革は成功だったのか?: "経済学的に見れば彼の改革は大いに疑問が残るところである。"

書いたのはおいら。しかし、よく考えてみると当時の経済学のレベルはその程度のもの。吉宗はよくやった方だと思うようになった。

2009年6月19日金曜日

エコポイント交換商品リストの公表……またしても都会のナイーブなエコ市民のなけなしのお金はエネルギーをじゃぶじゃぶ浪費するイナカモン既得権集団に山分けされることとなった

まさに憂鬱になったこのニュース:
NHKニュース エコポイント交換 271品目: "省エネ家電を購入した場合に受け取れるエコポイントと交換できる商品が発表され、品目は経済への効果を重視して、デパートや地域の商店街などで使える商品券をはじめ、特産品や旅行券など、あわせて271件に上っています。"

なんでJRの切符や高速道路が対象になるのだ。この非常時、やたらに移動しないことこそエコだろうが。国産農産品や水産物が対象になったのも解せない。石油エネルギーを一番じゃぶじゃぶ浪費するのがこの種の産業だからだ(農水族が自分たちへの利益誘導を狙ってこね上げた「フード・マイレージ」とかいうアホな屁理屈は科学的に完全に否定されている。日本にとっては外国農水産物を輸入するのが一番合理的な省エネ対策であることが立証されているのだ)。

毎度のことながら、環境によかれと思って、なけなしのお金をエコ商品への支出に遣ったナイーブな都市消費者の善意は、完全に裏切られる結果となった。

地域振興にかかわる商品券も対象になっているが、大阪天神橋商店街は対象から外れたようだ。可哀想だが、大阪なんかの都会もんを助けることは、いくら彼らが不況で苦しんでいたとしても、政治権力を握る利権集団であるイナカモンの利益にはつながらないので、お呼びではないのだそうだ。

ニッポンの政治は、毎度のことながら、とても憂鬱になる。

大泉一貫『日本の農業は成長産業に変えられる』

ニッポンの農業を取り巻く状況は複雑怪奇。たいていの人はおかしいなと思いながらも理解できない。どうしてこんなことが出来ないのと素朴な疑問を呈しようものなら、専門家と称する人から「あんたはなにもわかっていない、ニッポンの農業とはそんな簡単なものではないのだ」と複雑怪奇で奇妙奇天烈な理屈をとうとうと弁じられ、ますますわからなくなってしまうのである。でも、本当の専門家はそんなむつかしい理屈はこねず平易に説明してくれるものだ。著者の大泉一貫氏は、誰もが認める日本農業と農政の権威。理論ばかりではなく、現場の状況も知り尽くしている。だからこそ、ニッポンの農業と農政の実態とその桎梏からの脱出法をわかりやすく説明することが出来るのである。いまのニッポンの農業はどうもへんだと感じている人たちは、消費者はニッポンの農家にぼられすぎだと思っている人も、農村こそ新天地だとして自ら就農を考えている人も、ニッポンの伝統的稲作こそがニッポンの文化であり環境を守るのだと信じているエコロも、みんなこの本を読んだ方がいい。それぞれの立場で満足のゆく回答を見つけることが出来るだろう。ただ、農水族議員先生たちと自分の生活の糧を自分の働きではなく族議員たちの政治力だけに頼っている人たちは、激高してこの本を焚書にせよとまくし立てると思う。一貫センセー、負けずに頑張れ。



アマゾンの内容紹介によれば:

【農業は衰退産業ではない!】

本来、国際競争力を持ちうるコメの可能性を狭めているのは、
減反や高額関税などの米価維持政策である。

政治力を最大限に駆使する農協、「票と俵」のバーター取引を
持ちかける族議員たちが、「民生(社会保障)米価」を守って
きたために、日本の農業は停滞させられた。

「減反(生産調整)」をやめ、自主的なものとし、
「農地法」を改正し、眠る農地(耕作放棄地など)を意欲ある者にまかせれば、
日本の農業は見違えるほど活性化する!

また、その際には、農業経営者の育成や農商工連携を
通じたビジネスモデルの構築が急務だ。

農業の最大の課題は人材の枯渇にある。
まだ規制緩和の余地があるとはいえ、特区制度や農業生産法人を使い、
徐々に農業への企業参入の道も開かれつつある昨今、
日本の農業の産出額をいかに上げ、
成長軌道に乗せていくかを真剣に考えるべき時が来ている。

今こそ日本の農業が世界に打って出るチャンスなのだ。


【本書の構成】

第1章 コメで国際戦略を描け
第2章 農業を成長産業にする条件とは
第3章 農業が活性化するビジネスモデルを考える
第4章 農業への参入機会を国民全体に開け
第5章 農地法という企業参入に立ちふさがる高い壁
第6章 内向きの農政で衰退する我が国のコメ産業
第7章 政治に翻弄されてきた日本の農業


どうです。読んでみたくなるでしょう。新書版なので手軽に読める。でも内容は深い。

小生が特に印象深かった点は、日本の本来の農業とは、とても知的創造力に溢れた企業家的農業であったという点。農業はあくまでも「産業」だったのである。それが戦後の昭和30年以降、急速に萎縮し、衰えてしまった。

著者はこれこそ政治に翻弄された日本の農政と農家の所得維持向上だけを考えた戦後の保護政策と諸制度の問題だという。全く同感。

いまのニッポンの農業は、こうした政治的な利権追究の結果、この四半世紀の短い時間で出来上がった一種の「奇形」なのである。本来のニッポンの農業はもっと力強いものであった。いまの利権漬けニッポン農業こそが「ニセモノ」なのである。

ニッポンの農業を本来の正しい姿に戻せ!

6/19 Today 日米修好通商条約の締結(1858)

日米修好通商条約 - Wikipedia: "日米修好通商条約(にちべいしゅうこうつうしょうじょうやく)は、安政5年6月19日(グレゴリオ暦1858年7月29日)に日本とアメリカ合衆国の間で結ばれた通商条約。幕末の混乱期から明治初頭にかけ、日本が列強と結ぶことを余儀なくされた不平等条約の一つである。幕府は同様の条約をイギリス・フランス・オランダ・ロシアとも結んだ(安政五ヶ国条約)。

この不平等条約の改正は、日本が日清戦争において清に勝利した後で、明治32年(1899年)7月17日に日米通商航海条約(昭和15年(1940年)1月26日失効)が発効されたことにより失効した。"

不平等条約といわれる所以は、日本に関税自主権がなかったから(関税はあらかじめ両国で協議する「協定税率」。関税自主権がない状態)。でも、このおかげで明治の日本は驚異的な経済発展を遂げることが出来たと経済学の泰斗ミルトン・フリードマンは主張している。

日経新聞で読んだ:
「明治の日本が成功したのは関税自主権がなかったから」(M.フリードマン): "昨年死去した自由主義経済の泰斗、M・フリードマン氏は「明治の日本が成功したのは関税自主権がなかったから」という逆説を唱えた。高関税による保護主義がとれなかったがゆえに、比較優位の高い繊維産業などへの資本集積が進み、経済の近代化が加速したという見方だ。

戦後の資本自由化でも多くの企業が危機感をバネに飛躍した。豊田英二・トヨタ自動車工業社長(当時)は70年の年頭の辞で「総力を結集して自由化に対処し、国際競争で勝利を収める覚悟」と述べている。陰に陽に保護され続けた農業や金融業が、国際競争力を持ち得なかったのとは対照的である。"

関税率を一国が勝手に決めることが出来ると、必ず国内既得権集団の利益となるように関税率が設定され、経済全体にはマイナスの効果をもたらす。いまの農産物の関税率がどれだけ消費者を苦しめ経済の足を引っ張っているかを見ればわかる。WTOもその問題を解決しようとして創設された。江戸幕府は、そこまで考えてはいなかっただろうが、えらかったのである。

2009年6月18日木曜日

6/18 Today ジューコフが死ぬ(1974)

ゲオルギー・ジューコフ - Wikipedia: "ゲオルギー・コンスタンチノヴィチ・ジューコフ(ロシア語:Георгий Константинович Жуков,英語:Georgy Konstantinovich Zhukov, 1896年12月1日 - 1974年6月18日)は、ソビエト連邦の軍人、政治家。第二次世界大戦期を通じてソ連で最も活躍した軍人の一人で、ソ連邦元帥まで昇進した。

ノモンハン事件。ジューコフは、十分な戦力を準備し、1939年8月20日より関東軍に対する反撃を指揮した。自動車化された砲兵と歩兵の支援のもと、2個戦車旅団が戦線の両翼を進撃するという大胆な機動を行って日本の第6軍を包囲し、1個師団を全滅させるなどの大打撃を与えた。2週間の内に関東軍は撤退し、その後、国境線はソ連・モンゴルの主張通り確定された。

この戦闘におけるソ連側の損害も決して少なくなかった。ただ、ソ連の戦術は、基本的に数の圧倒的優位で勝利を狙うもので、その勝利の基準は損害の寡多ではなく、戦闘課題を達成できたかどうかである。ソ連軍は圧倒的な人的物量を誇っていたので、死傷者数はほとんど問題にならなかった。"
けっこう長生きした。スターリンに粛正されずこれだけ生き延びたとは、さすがはとてもエライ「戦略家」である。

半藤一利によれば、ノモンハン事件の後、ジューコフはスターリンに次のような報告を行ったよし:
5/11 Today ノモンハン事件(1939)……ジューコフの“あっぱれな正答”: "日本軍の下士官兵は頑強で勇敢であり、青年将校は狂信的な頑強さで戦うが、高級将校は無能である。"

当時の日本軍の強みと弱みをよく見抜いている。さて、いまでもこれが言えるのか。ちょっと心配。

iPhone OS 3.0 : おいらもアップデート中!

真夜中の午前二時にアップデート可能となったらしい。自動的にやってくれるのかと思っていたら、自分でやらねばならない。やり方:
iPhone OS 3.0にすんなりアップデートさせるための準備 - builder by ZDNet Japan: "iPhoneを接続してからiTunesを起動し、[デバイス]→[概要]タブの順に画面を開き、[アップデートを確認]ボタンをクリックすればOKだ。"
そうなのか。

延々と時間がかかっている。起きたときにはじめたんだけれど、まだ終わらない。世界中から殺到してきているからかな?

2009年6月17日水曜日

「還暦を過ぎたら、もう健康に留意するな」(高任和夫)

今日の日経夕刊「さらりーまん生態学」。高任和夫に大賛成。他にも「ポリティカリー・コレクト」じゃないことを連発。すべて正しい。襟を正して読むべきだ。

曰く;
  1. 定年の挨拶状を貰う。概ね「心身の健康に留意し、これからは生き甲斐を探したい」とある。アホだ。
  2. 第一、還暦を過ぎたら、もう健康なんか関係ない。大いに酒を呑み、たばこを吸い、遊びまくって、そして死ねばいい。
  3. 日本の国家目標は、経済成長を遂げ、長寿社会を作ると言うことであったが(そのために喫煙者は犯罪者のように扱われるが)、その結果「少子高齢化」などという問題が生じてしまった。そのような国を目的としていたのではなかったか。
  4. 地方の過疎化もそう。若者を東京に集めれば、地方に人材は残らない。地方分権と言うが、人材不足を抜きにしてなにが分権か。
  5. 挨拶状に定年後に人生の目的を探すとあるが、定年まで探せなかったものが、定年になり暇が出来たと言って、探せるわけがない。
  6. 最近やっとわかったが、おれはあと1年か2年しか生きられないのだと思うことだ。そう腹を決めれば、いまのこの世を楽しむことが出来る。

高任和夫の名調子に座蒲団三枚。現代ニッポンには、おかしなちぐはぐなことが多すぎるのである。ゆえに壮大なエネルギーと資源の無駄遣いが生じている。

6/17 Today 原節子さんのお誕生日(1920)

原節子 - Wikipedia: "原 節子(はら せつこ、本名:会田 昌江/あいだ まさえ、1920年6月17日 - )は、日本の女優。

「永遠の美女」「永遠の処女」などと謳われた日本映画黄金時代の大女優であるが、42歳の時に引退した。

1963年、小津安二郎監督の葬儀に姿を見せて以降、公の場に姿を現さないように隠棲。その後は神奈川県鎌倉市で親戚と暮らしているという。"
今日は89歳のお誕生日。

42歳で「隠棲」とは、カッコイイ!

2009年6月16日火曜日

「文部省の実学志向が、若者の内向き現象を生み出した」(鹿島茂)

先週の予告の通り、鹿島茂は若者の内向き指向について議論を続ける。ちなみに先週のお話しとはこういうもの:
Letter from Yochomachi: 「男が”内ごもり”になるのは自然の傾向」(鹿島茂)

この続きが今日の日経夕刊(以下)。ふむふむ、なかなか面白い。

曰く:
  1. 「内向き」現象は、二段階の変化による。一つは、1975年代から生じた大学生の質的変化。もうひとつは90年代のバブル崩壊以降の社会の変化。とりあえず前者について論じる。
  2. 明治の開国で、大衆は舶来品を有り難がっただけだったが、高等教育を受けた階層は例外なく欧米の文化を一つの規範として受け入れた。教育を介して「知」の過程にアクセスすることで、彼らの心の中に「遠方指向性」が生まれたからだ。
  3. これが1975年頃まで続いた。ところが団塊の世代が大学を卒業し終わった頃から、地滑り的変化が生じた。外国のモノ、とりわけブランド品が街に溢れるのに反比例して外国文化への興味が失われた。
  4. 知的エリートであるはずの大学生が、遠方指向性を特徴とする知的上昇の過程に入ることなく、子供時代の延長として「モノ」を愛するようになったからだ。男子においてはオタク化現象、女子においてはブランド品愛好となってあらわれた。
  5. 学園紛争に懲りた文部省が、大学を郊外に移し、学生を無菌化し、社会との接点を失わせ、「君はそういう余計なことを考えなくていいよ」と呼びかけ、大学生の知的過程への参入機会を消滅させ、必然的に遠方指向性をなくし、外文系への無関心を生じさせたからである。
  6. しかし、それはまだまだほんの序曲にしか過ぎなかったのである。

おやおや、まだ続くらしい。これは楽しみ。

6/16 Today 楊貴妃が死ぬ(756)

楊貴妃 - Wikipedia: "楊貴妃(ようきひ、719年(開元7年) - 756年7月15日(至徳元載(元年)6月16日))は中国唐代の皇妃。姓は楊、名は玉環。貴妃は皇妃としての順位を表す称号。玄宗皇帝の寵姫。玄宗皇帝が寵愛しすぎたために安史の乱を引き起こしたと言われたため、傾国の美女と呼ばれる。古代中国四大美女(楊貴妃・西施・王昭君・貂蝉)の一人とされる。現代でも世界三大美女の一人とされている。(クレオパトラと楊貴妃に、ヘレネ(日本では小野小町)が加わる)。実際は太っていた説もある。"


写真は西安の華清池に立つ楊貴妃の像。長恨歌にはこうある:
長恨歌 - Wikipedia: "春寒賜浴華清池 温泉水滑洗凝脂・・・・・春まだ寒いころ、華清池の温泉を賜った。温泉の水は滑らかに白い肌を洗う。"

「温泉ノ水 滑ラカニシテ 凝脂ヲ洗フ」という文句は、おいらが中学生の時、国語のセンセーに覚えさせられた。「エムシー」というあだ名の怖い先生だったが、人並みにスケベーだったのかな。

2009年6月15日月曜日

日経「らいふプラス」:なぜか”褒め合い族”

日経夕刊は、大衆迎合のムラ・エコロ記者が多くて敬遠気味だったのだけれど、これは面白かった。最近のニッポンでは、ただただ褒め合う大人が増えてきたらしい、このココロは?……とのレポート:

  1. 伊勢丹浦和店では営業成績グラフに褒め言葉をやたらに連発する。名付けて「褒めあいカード」。社員には大好評。
  2. 就職活動を控えた学生向けセミナーを運営する企業でも、学生は思いっきり褒めることにしている。おかげで高い受講費にもかかわらず大繁盛している。
  3. 「特に若者に自信が持てない人が目立つ」と企業研修を手がける企業の代表者。そのため従業員の美点を探すビジネスも登場している。従業員を褒めることで業績アップにつながるという。
  4. 伊勢丹アイカードでも「褒めあいカード」を導入してから「職場の結束が強まった」という。
  5. 褒め言葉がパソコン画面いっぱいに次々現れるサイト「ほめられサロン」すら登場。最近は一日15万件を超えるアクセス。
  6. なぜそうしてまでして褒められたいのか。一部では反骨心の喪失につながるとの懸念する声もある(白梅学園大学学長汐見氏)。「いざこざを避けるため、安易に褒めている面があるのではないか」と北海道教育大学の伊藤進教授。「脳にとって褒め言葉はお金と同じ」とは自然科学機構の定藤教授。
  7. 安易な褒め言葉に慣れた人は、もはや叱れないのではないか。そんな不安を感じる向きもある。

要は、甘ったれの精神がニッポンに広がってしまったと言うこと。何でもかんでも苦しいからといって補助金と地方交付税にすがるという精神もここからでているのである。「一億総タカリ」現象。褒め言葉のインフレは貨幣価値のインフレにつながる。あまりニッポンの将来に楽観的にはなれない。

6/15 Today エラ・フィッツジェラルドが死ぬ(1996)

エラ・フィッツジェラルド - Wikipedia: "エラ・フィッツジェラルド(Ella Jane Fitzgerald 1917年4月25日 - 1996年6月15日)はアメリカ合衆国のジャズ・シンガー。サラ・ヴォーン、ビリー・ホリデイと並び称される女性トップ・ジャズ・ボーカリストの一人。

13回のグラミー賞受賞に加え、イェール、ダートマス、プリンストン大学において名誉博士号を授与され、ジョージ・W・ブッシュ大統領からは大統領自由勲章を授与されるなどレコードセールス、批評の両面で高い評価を受けた。

Lady Ella、またはThe First Lady of Jazzとも呼ばれている。"
合掌。


2009年6月14日日曜日

NHKニュース:鳥取のスイカ、ドバイに一個三万円で輸出!

このニュース:
山陰中央新報 - 鳥取のスイカをドバイに輸出: "糖度一一度以上で重さ十二キロ前後の大玉五十四個を厳選し一個ずつ箱詰めした。現地では「鳥取中央スイカ」のブランド名で販売。価格は一玉三万円程度という"
とても結構なことだと思う。ボルのならアラブのバカなお金持ちからだけにして欲しい。ニッポンの農村が日本の貧乏な都市住民を搾取するのは、もうやめて欲しいと思う。

一個十万円のマンゴーとか、一個20万円のメロンとか、もうたくさん。おいら都市住民は、自民党イナカバラマキ政治のおかげでヒャクショウに搾取されまくり、おかげですっかりビンボーになってしまった。もう、ない袖は振れません。

その意味で、日本の都市住民からボルだけボルという従来の政策を見直し、アラブの金持ちにターゲットと絞った鳥取農協は先見の明がある。どんどんやって下さい。おいら都市住民は、とてもお付き合いできかねるから。

「このままオタクが増え続ければ日本人は道を誤る」(久間十義)

今朝の日経文化欄で作家の久間十義が大切なことを言っている。オタクたちの「萌え」志向や世界観が世の中で支配的になれば、私たちはますます衰弱して、リアリズムが貫徹する他国の人々に軽んじられることになるという。メモ:
  1. 私はかねがね、オタクや腐女子と呼ばれるアニメやゲーム漬けの若者たちが増殖することに、かすかな懸念を抱いてきた。
  2. 私たちは小説や批評を読むことによって、生活の真実を知り、また生きてゆくための規範や行動の基準のようなものを学ぶ。流行歌もそう。マンガやアニメもそう。ここにあるのは自らに何らかの役割を振り、その役割によってようやく自分たち得る私たちの姿である。
  3. こうした前提を認めれば、オタクや腐女子では「萌え」が判断基準になり、行動の準則になることは明瞭だろう。彼らはどっぷり浸かっているゲームやアニメの世界を生きて、いま、ここにある現実を生きようとしないように見える。その結果、ついついリセットできるゲーム感覚で国際折衝に臨み、外国人に鼻面を引き回されることだって起こりうる。
  4. 百年に一度と喧伝される経済危機の中、財政出動を決意した政府が、世界に冠たる日本のアニメ文化を発信するためアニメの箱物を作るという。「萌え」は老人により先取りされているらしいのだ。私の短絡や懸念と重ならないことを祈るばかりだ。

こういう発言をするのは、いまのニッポンでは勇気が要ることとなってしまった。この人は知らない作家だが、エライと思う。たしかにアニメが好きな内閣総理大臣による「アニメ箱物」プロジェクトは見苦しい。

6/14 Today ボルヘスが死ぬ(1986)

ホルヘ・ルイス・ボルヘス - Wikipedia: "ホルヘ・ルイス・ボルヘス(Jorge Luis Borges、1899年8月24日 - 1986年6月14日)は、アルゼンチン ブエノスアイレス生まれの小説家、詩人。本名、ホルヘ・フランシスコ・イシドロ・ルイス・ボルヘス・アセベード。代表作として、『伝奇集』、『幻獣辞典』など。ダンテの『神曲』を「あらゆる文学の頂点に立つ作品」と称え、講義集を残している。"

国家が衰退していくときにもでも芸術は生き残ることがある。でも長くは続かない。ボルヘスもアルゼンチンが豊かであった時代の落とし子なのである。

アルゼンチンは、国民が圧倒的に支持したペロンのバラマキ主義ポピュリズムのせいで、世界有数の富裕な国から世界有数の貧乏国に落ちぶれてしまった。ボルヘスは、このポピュリズムを蛇蝎の如く嫌ったが、しょせん多勢に無勢。最後は国を捨ててスイスで死ぬ。

ボルヘスは母国語であるスペイン語よりも英語で書くことを好んだ。英語の方が、言語の構造上、感情を直接伝えることが出来るというのだ。たとえば形容詞に接尾語をくわえて出来る形容動詞だが、英語なら "rapid" に"ly" を加えて "rapidly" となるがアクセントは前に付くので "rapid" が強調される。それに対してスペイン語の接尾語は"mente" となりおまけに最後から二番目の母音にアクセントが付くので、無意味な音が強調されてしまい詩的ではないという。これは中世のスペイン言語院が機械的にルールを決めたためだが、同じような例を明治以降の「現代日本語」や韓国語にも見られる。将軍様の大本営発表ニュースが「ハムニダ」ばかり目立って滑稽なほど単調なのもそのためだ。

荷風も同じ理由で明治以降の日本語を嫌った。文語の方がよほど美しいのである。文語漢語が多い荷風作品はそういう観点からもっと読まれてしかるべきだと思う。

2009年6月13日土曜日

豚インフルエンザのワクチン、ノバルティスが製造開始!

さっそくワクチンが:
ブタフルワクチンもう製造: "ボイスオブアメリカ(VOA)によれば、いち早く、スイスの丿バルティス社がブタフルのワクチンを製造したそうです。鶏卵を使うのではなくcell-basedの製造というから凄い技術力です。しかも、臨床試験を来月7月から行うそうです。さすが丿バルティスですね。"
ノバルティスは買いかな!

NVS: Summary for NOVARTIS AG

きのう一日で4%も上がった。高齢者は免疫を持っているらしいからそんなに売れないとは思うけれど、対応のスピードが速い。

6/13 Today 明智光秀が死ぬ(1582)

明智光秀 - Wikipedia: "明智 光秀(あけち みつひで)は、戦国時代、安土桃山時代の武将。本姓は源氏。家系は清和源氏の一家系で摂津源氏の傍流で、美濃源氏の流れを汲む土岐氏の支流である明智氏。妻は、妻木煕子。その間には、嫡男・光慶(十五郎)、織田信澄室、細川忠興室・明智珠(洗礼名:ガラシャ)がいる。

本能寺の変から11日後の天正10年6月13日(西暦7月2日)、新政権を整備する間もなく、本能寺の変を知って急遽毛利氏と和睦して中国地方から引き返してきた羽柴秀吉の軍を、現在の京都府大山崎町と大阪府島本町にまたがる山崎で迎え撃つことになった。同日深夜、坂本を目指して落ち延びる途上の小栗栖(京都市伏見区)で、落ち武者狩りの百姓・中村長兵衛に竹槍で刺し殺されたとされる。"


光秀の造反の理由にはいろいろ説があるらしい。ともあれ、信長はたいへんな人だったってことは事実。周りの人はたいへんだった。

娘のガラシァ夫人のお墓は紫野大徳寺の高桐院にある。あそこには小さいけれど京都屈指の美しい庭がある。

2009年6月12日金曜日

6/12 Today 中大兄皇子らが蘇我入鹿を暗殺(645)

大化の改新 - Wikipedia: "皇極天皇4年(645年)6月12日、飛鳥板蓋宮にて中大兄皇子や中臣鎌足らが実行犯となり蘇我入鹿を暗殺。翌日には蘇我蝦夷が自らの邸宅に火を放ち自殺。蘇我体制に終止符を打った。"
殺そうと段取りを付けるだが刺客役がびびってしまいなかなかうまく行かない。この日の経緯についての日本書紀の記述は、臨場感に溢れている。

ここに現代訳があった:
乙巳の変 - Wikipedia:"645年、三韓(新羅、百済、高句麗)から進貢(三国の調)の使者が来日した。三国の調の儀式は朝廷で行われ、大臣の入鹿も必ず出席する。中大兄皇子と鎌子はこれを好機として暗殺の実行を決める。(大織冠伝には三韓の使者の来日は入鹿をおびき寄せる偽りであったとされている)

同年6月12日、三国の調の儀式の儀式が行われ、皇極天皇が大極殿に出御し、古人大兄皇子が側に侍し、入鹿も入朝した。入鹿は猜疑心が強く日夜剣を手放さなかったが、俳優(道化)に言い含めて、剣をはずさせていた。中大兄皇子は衛門府に命じて宮門を閉じさせた。石川麻呂が上表文を読んだ。中大兄皇子は長槍を持って殿側に隠れ、鎌子は弓矢をとってひそんだ。海犬養勝麻呂に二振りの剣を運ばせ佐伯子麻呂と葛城稚犬養網田に与えた。

入鹿を斬る役目を任された二人は恐怖し、飯に水をかけて飲み込むが、たちまち吐き出すありさまだった。鎌子は二人を叱咤した。石川麻呂が表文を読み進めるが子麻呂らは現れない、恐怖のあまり全身汗にまみれ、声が乱れ、手が震えた。不審に思った入鹿が「なぜふるえるのか」と問うた。石川麻呂は「天皇のお近くが恐れ多く、汗が出るのです」と答えた。

中大兄皇子は子麻呂らが入鹿の威を恐れて進み出られないのだと判断し、自らおどり出た。子麻呂らも飛び出して入鹿の頭と肩を斬りつけた。入鹿が驚いて起き上がると、子麻呂が片脚を斬った。入鹿は倒れて天皇の御座へ叩頭して言った「私に何の罪があるのか。お裁き下さい」。天皇は大いに驚き中大兄皇子に問うた。中大兄皇子は「入鹿は皇族を滅ぼして、皇位を奪おうとしました」と答えた。皇極天皇は直ちに殿中へ退いた。子麻呂と稚犬養網田は入鹿を斬り殺した。この日は大雨が降り、庭は水で溢れていた。入鹿の死体は庭に投げ出され、障子で覆いをかけられた。"


騙されて武装解除をしてしまったのが入鹿の敗因。

ちなみに、人間は極度に緊張すると嘔吐してしまう。入鹿暗殺の時の刺客もそうだが、前世紀ではピストル決闘を前にした若者とか、今世紀ではノルマンディー上陸作戦での上陸艇上の兵士とか。大薮春彦小説の主人公ですら突撃の最中は恐怖のあまり失禁する。こういう経験をしてない世代は、しょせん甘い人生しか過ごしてこなかった世代であり、まさかの時には役に立たないのではないか。エコで自己満足しているようじゃ将軍様に勝てない。

2009年6月11日木曜日

第5回三菱UFJ信託銀行劣後債……当たりました!

利率2.52%、8年債(実質3年)、おいらにも回ってきた。

中央三井信託銀行の劣後債は、申込み初日の朝一で電話したのに、まだ「順番待ち」。えこひいきされているのかな〜。

発行機関と販売会社は透明性のある公平な割り振り方法を決めて公表するべき。

だいたい普通の人が社債発行の事実を知るときには、良い条件のものはたいてい売り切れている。前広に情報を集めることがキモ。大サービスでとっておきの情報源を公開。このサイト(↓)は役に立つ:

個人向け社債ウォッチ!


6/11 Today ジョン・ウェインが死ぬ(1979)

ジョン・ウェイン - Wikipedia: "ジョン・ウェイン(John Wayne,本名Marion Robert Morrison,1907年5月26日 - 1979年6月11日)は、アメリカの俳優。「デューク」の愛称で呼ばれた。1979年6月11日にカリフォルニア州ニューポートビーチで胃癌で死去"
合掌。

とにかく単純明快なのがいい。安心して映画を見ていられる。この世の中、ややこしくって深刻なことでいっぱい。せめて映画だけでも単純で明快なのがいい。

2009年6月10日水曜日

「男が”内ごもり”になるのは自然の傾向」(鹿島茂)

きのうの日経夕刊「プロムナード」で鹿島茂が面白いことをいっていた。続きが来週にあるらしい。メモ:
  1. 日本人、特に若い世代の「内ごもり」傾向が顕著である。自発的な「鎖国」のように見える。
  2. でも若い女性はそうではない。「外向き」である。すべての統計と個人的経験がそれを物語っている。なぜ男性は「内ごもり」で女性は「外向き」になるのか。外への脅えが男子にのみ著しく、女子には希薄なのはなぜか。
  3. それは、デズモンド・モリスによると、人類のほとんどが外婚(女子が部族から出て他の部族に嫁ぐ)という形式をとっていることと関係するという。
  4. 現在、日本で女子の方が国際交流や海外留学に積極的なのは、それが「本来の姿」だから。自然に放置しておけば、男子は外に出ようとはぜず、内にこもってしまう傾向が強いのである。
  5. しかし、明治・大正・昭和の時代は男子も「外向き」を余儀なくされた。これは「例外的」な時代であった。平成になり、社会は大きく変わり、「内ごもり」が状態と化した。
  6. では、いったい、平成になって、なにが変わったのか? これについては次回(来週)。


もったいぶらずに結論を先に言えばいいのに。でも気になる。

Safari 4.0 は良いですな!

マックを立ち上げると新しい Safari にアップデートしろと言うのでやってみた。すごく使いやすいですな。

いろいろ新しくなっているらしい(ここ)。むつかしいことは解らないけれど、インターフェイスがこれまでと全く違って、ページをめくるような感覚でよく使うサイトや履歴をめくることが出来る。こんな技術進歩なら大歓迎。

6/10 Today アレクサンダー大王が死ぬ(BC323)

アレクサンドロス3世 - Wikipedia: "アレクサンドロス3世(ギリシア語:Αλέξανδρος ο Μέγας、ラテン文字転写:Aleksandros III Megas、紀元前356年7月? - 紀元前323年6月10日、在位前336年 - 前323年)はマケドニア王国のテメノス朝のバシレウス(国王)として即位、後にコリント同盟の盟主、エジプトのファラオを兼ねた人物。アレクサンドロス大王とも呼ばれるが、この場合は英語読みでアレクサンダー大王またはアレキサンダー大王とすることも多い。"
アレクサンドロス3世という名前でも解るように歴とした「世襲政治家」。

日本の世襲政治家が批判されている。でもアレキサンダー大王は、幼少の時より父親にアリストテレスを「家庭教師」として付けて貰うなど徹底した英才教育を受けた。世界の動植物を集めたりして古典的ギリシャ教養と博物学をアリストテレスに学んだ。成人したときには充分な世界観を持っていたのである。世襲制度の善し悪しよりも、どれだけ学んだかで結果を判断されなければいけない。

同じ世襲政治家でも、いまのニッポンの世襲政治家が父親から教えてもらうのは、ムラ的選挙地盤の維持方法や選挙資金捻出の小賢しいテクニックだけ。これじゃ世のためにならない。このような状況では政治家の世襲はやめた方がいい。

2009年6月9日火曜日

6/9 Today ディッケンズが死ぬ(1870)

チャールズ・ディケンズ - Wikipedia: "チャールズ・ディケンズ(Charles John Huffam Dickens, 1812年2月7日 - 1870年6月9日)は、イギリスのヴィクトリア朝を代表する小説家。ポーツマスの郊外に生まれた。その登場人物は広く親しまれており、イギリスの国民作家とされる。作品は『オリバー・ツイスト』『クリスマス・キャロル』『デイヴィッド・コパフィールド』『二都物語』『大いなる遺産』など。1992年から2003年まで用いられた10UKポンド紙幣に肖像が描かれている。"


エライ作品が多いのだが、あまり幼いときに読んでしまうと面白みが解らない。おいらも卵焼きを作るときは小麦粉を入れると量が増えるとかいうくだりぐらいしか覚えていない。大人になったからもう一度読んでみよう。

まだ読んでない古典がいっぱいある。とても今どきの小説なんか読んでるヒマはない。

2009年6月8日月曜日

「”KY”と”上からの目線”を意識する若者に世の中へのおびえを見てしまう」(清水義範)

日経夕刊の「プロムナード」で名言を拾った。清水義範は、言葉を選びながらも、ああいう風潮はとてもカッコ悪いという:
  • とても周囲のことを気にしているんだなあ、と思う。全体の和を重んじる、というのが日本人の精神構造の根っこにあるのは知っているが、若い人も、そのことをかなり強く意識しているのだ。むしろ、空気を読めない人間と思われ、全体からはみ出してしまうのを恐れているんじゃないだろうか、という気すらする。
  • 「上からの目線」。若い人は集団の中にいる時、自分がどのランクに見られているのかということをものすごく気にしているのだ。高く見られているのか、低く見られているのかをピリピリして感じ取っていて、ひどく傷ついたり、ムカツイたりしているのだろう。
  • 生まれてはじめて幼稚園に入った子が、いろいろ傷つきながら社会性を身につけるようなことを、社会に出たぐらいの若者がピリピリかんじているような、世の中へのおびえを見てしまう。

これは「名言集」に収録。「今どきの若者は……」というたぐいの発言でもないと思う。今の若者はものすごく古代ニッポン人の農村ムラ的精神風土への「先祖帰り」をしているのである。恐ろしいくらいだ。それがいいことだとするのが「ポリティカリーコレクト」なのかも知れないが、マッカーサーが「日本人の精神年齢は12歳」と言い放ったように、あまり国際的にはカッコイイものじゃない。

おいらも前から気になっていた。例えばこんなことも書いた:

日経:「目立ちたくない!」近頃の子供たち……心配、“モヒカン族”頑張れ!

Letter from Yochomachi: 「"KY"から"AKY"へ」(日産自動車相談役名誉会長、小枝至)

2/26 Today 2・26事件(1936)……この幼児性こそが問題だった

Letter from Yochomachi: 麻生太郎の限りなき「軽さ」

NHK/「ホームランを打った気持ちは?」

これは学校教育の問題というよりは、NHKをはじめとするマスコミを動員して「みんな一緒に仲良く楽しく地球にやさしい」とかの文化で国民を洗脳することで、自分たちへの利益誘導を狙う一部の既得権集団が組織的に演出した陰謀なのだろうと思う。洗脳されてしまった若者たちが不憫でならない。

ソフトバンク社債、買えず!

これ:
第27回無担保社債発行に関するお知らせ | ソフトバンク株式会社: "第27回無担保社債発行に関するお知らせ"

危なっかしそうだったけれど二年は大丈夫だと思ってこわごわ申し込んでいたものだが、枠がとれなかった。そうなると惜しかったと思うのは人間の心理か。

海の向こうと違ってニッポンシステムのもとでは会社は簡単には潰れない。高利回りの社債は狙い目かもしれない。

今月もかなりの個人向け社債の発行が予定されている。ポンプ会社のCBなんかも狙い目か。

6/8 Today ムハンマドが死ぬ(632)

ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフ - Wikipedia: "ムハンマド(محمد Muḥammad 570年頃 - 632年6月8日)は、イスラーム教の開祖。アラビア半島西中部、ヒジャーズ地方の中心都市メッカの支配部族であるクライシュ族出身で、その名門ハーシム家のひとり。イスラーム教では、モーセ、イエス・キリストその他に続く、最後にして最高の預言者(ナビー)でありかつ使徒(ラスール)とみなされている[1]。また世俗君主としても有能であり、アラビア半島にイスラームの神権国家を打ち立てた。"

伝承によればムハンマドの妻は22人。艶福に恵まれた人であった。天国についても次の発言で知られる:
ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフ - Wikipedia: "イブン・カスィールによれば、ムハンマドは『天国では男性は一日100人の処女(フーリー)とセックスが出来る』と述べていた[25]。また、『われわれは天国で処女とセックスが出来るのでしょうか?』と問いかけた信者に対して、『もちろん出来る。そしてセックスが終わった後には、彼女は清らかな乙女に戻るのだ。』と述べたともしている[26]。"
ところが、これは誤訳であるという学説が出現した。

この学説とはこれ。ルモンド記事を拙者が翻訳した:
Le Monde (余丁町散人) コーランに書かれている天国の処女達とは単なる白い果物のことだったのか?: "もっと驚くべきことは、コーランで有名な天国の楽園の処女達とは単に葡萄の実のことであったとする解釈だ。(コーランに書かれている天国で待ち受けているという)「目が大きい処女達」とは「クリスタルのような白い果物」と読むべきとのことだ。"

こっちの方が確かに道徳的だ。